アリー/スター誕生

 



責務を果たし、対価を受け取る。その対価で生活を営む。すなわち社会人になってから、「小難しいことや悲劇は、仕事だけでいい」という日々が続いている。そのため、趣味の映画を見るにしても、小難しい話や悲劇に対してわざわざお金を払って見に行かないスタンスになってしまった(昔はそうでなかったんですが…)。本作は今回含め、既に4回映画化された古典・名作のリメイク。クソみたいな「余命〜年」系の邦画にありがちな恋愛映画の原点ともいえる悲しい恋愛話なので避けておりましたが、これがもう堂々たる出来で、素晴らしい映画でした。ちょっと反省してます。

 

主演を務めたレディガガ、主演兼監督のブラッドリークーパーも、期待値を大幅にオーバー。音楽界では一定の地位を築いているも、映画界では脇役に甘んじていたレディガガ。音楽界で培った確かな歌唱力と、脇役では見せきれなかったしっかりした演技で堂々の主役を張る。映画初監督のブラッドリークーパーも、選んだ題材は安いメロドラマになりかねない古典。これを、まるでイーストウッド映画のような達観した演出力で、渋い映画としてリメイク。映画の内容が新たなる才能を見いだす話であると同時に、映画自体そのものも、レディガガ(主役)とブラッドリークーパー(監督)という新たなる才能が融合し、岡本太郎(芸術は爆発だ!)のごとく、2人の才能が大爆発して、大傑作として開花しています。

 

そしてなんと言っても、アルコール依存症メンタルヘルス、男のミドルエイジクライシス(中年の危機)の恐ろしさをネチっこく描いた鬱映画でもあり、かつてイーストウッドが監督し、ブラッドリークーパーが主演した「アメリカンスナイパー」と通じるテーマです。歳をとるにつれて目減りしていく体調と才能。逃げ場のない現実から目をそらすためにアルコールに溺れる。兄役のサムエリオットが言う一見冷たい台詞、「すべての責任は彼にある」という一言で、メロドラマな悲劇から現実へとビンタで戻されます。

 

いまの自分は対価をいただいてなんとか生きてますが、いつか自分にもジャクソンのような時期が来るのだろうか、、、と思ってしまう。

単なる恋愛映画ではなく、不器用な男であれば誰もが「明日は我が身」を感じる、硬派で渋い映画です。そして渋いだけでなく、「どんなに辛くても、立ち上がって強く生きる」というアメリカの伝統的な精神が、レディガガの圧倒的な歌声として表現され、観賞後なんともいえない余韻がずっと残ります。

 

 

 

ヒロミ「40歳で小休止した僕が見つけた境地」 | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

何か不祥事を起こしたわけではない。しかし、潮が引くように出演番組が終わっていく。正直、薬物事件や暴行事件を起こしたわけでもないのに、ここで一気に? と自分でも不思議に思ったし、どこか笑える部分すらあった。

それでもしがみつき、テレビの仕事を続ける選択肢もあっただろう。ただ、その先に待っていたのは、支えてくれた番組スタッフからの「ヒロミさん、つまらないから芸能界に席はないです」という最後通牒だったとも思う。僕は、求められていない感の中であがいてしがみつくよりも、自分の意志で線を引くことを選んだ。「タレント・ヒロミ」を小休止させよう、と。

これは誰にも相談せずに決めた。「俺、時代に合わなくなってきた」と感じたからだ。

おじさんと呼ばれる年齢になっての、初めての大きな挫折だった。若いうちに売れず苦労して挫折感を味わいまくる人、50歳でリストラされて途方に暮れる人。挫折と向き合うタイミングが違うだけで、誰もが一度は「きついな」という局面に対処しなくちゃいけなくなる。人生はそういうふうにできているのだと思う。

 

このヒロミのお話にも近いかもしれない。ヒロミは器用さもあって乗り越えられた人だったんですね。