多様性とは?

川崎の殺傷事件や、元事務次官の殺傷事件を見るに、いまの日本は相当生きづらい。

 

昔の映画を見ると、フーテンの寅さんや植木等のようなテキトーな人も許されていた世の中だったように見えるが、それがいつしか変わってしまった(そもそもフィクションの中だけで、当時も現実にそんな人がいなかった可能性もあるが)。何が生きづらいのかというと、「〜〜でなければならない」等の過度な押し付けが多いところ。「偏差値の高い学校に行かなければ」から始まり、「名の知れたいい会社に入らなければいけない」「正社員で勤めなければならない」「大人になったら結婚しなければならない」などといった、謎のあるべき論とその強制が蔓延してる。一部の偉い人たちの中だけに閉じた話ならそれでいいが、こういった押し付けがましいあるべき論がダイレクトで個人に来るように感じる。偉い人に文句言われるというか、同じ身分同士で相互監視されて、争いさせられてる感じ。もし自分が働いていなかったとしたら、「あの人は無職なのよ」と後ろ指さされるだけならともかく、人格まで否定される勢いで言われる感じ。誰がどこで働いてようが、働いてなかろうが、その人の勝手なのに。「他と違うからおかしい!」などと、大声で言われる筋合いもないし、他と違ったからといって恥を忍んでコソコソする必要もない。でも「おまえは普通じゃないんだから」といった理屈で、こういったあるべき論から外れた人、または言うこと聞かなかった人への圧力が、ここ最近ひどくなってきていると感じる。個人の自由が極端になさすぎる。正直めんどくさって感じ。リーマンショック就職氷河期を経験して「新卒カードを逃したらもうまともな就職先が無い」という、くだらない罰ゲームを体験した身からすると、こういった固定された考えは本当にくだらない。早く消え去れと思う。最近の日本は、外見だけ見れば一見多様性があるように見えるけど、その内面は新卒一括採用のみんな同じ髪型同じスーツ状態だ。

 

先の事件も、実際のところどうだったのかは想像するしかない。でも、天涯孤独で友達がおらず、結婚してなかったとしても、そんな生き方もアリなんだ認められるとか。無職期間があっても、社会復帰できる世の中とか。政治が法律がどうこうの前に、個人の判断や意志、生き方がもっと尊重される世の中になってくれと。それだけでだいぶ生きづらさや、息苦しさはなくなるんじゃないか。多様性がどうのこうの言っても、いまの日本には多様性の多の字もないから。

アメリカにいる親戚が、「アメリカは日本と比べてサービスも悪いし、物も揃ってないけど、精神的にいいんだよね。」と言ってたけど、そういうことだろうな。