ジョーカー

 

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すっかり時は過ぎてしまったが、公開日に見に行った。前評判どおりの衝撃作。スコセッシの往年の名作タクシードライバーと、キングオブコメディ(こちらは未見)をインスパイアしたというが、タクシードライバーも公開当時、ジョーカーのように「危険な思想の映画」という扱いをされたのだろうか。

 

ジョーカーについて、一番しっくりした感想はこれ。

DC映画『ジョーカー』海外レビュー、評価、感想 ─ ベネチア映画祭で絶賛「まさにジョーカーが望んだ映画」 | THE RIVER

米IndieWireは「世界を転覆させ、その過程で我々を狂わせる作品」だとも記した。「良くも悪くも、まさしくジョーカーが望むだろう映画です」

 

ジョーカーが望むものってどんなもの?という問いは、故・伊藤計劃氏の映画ダークナイト評が詳しい。

Watch the world burn. - 伊藤計劃:第弐位相

ジョーカーは知っているのだ。秩序に身を置きながら自警団として秩序を破らざるを得ない矛盾を抱えたバットマンと、世界がカオスに叩き込まれるのを心の底から望みながら、秩序という世界の枠組みそのものが崩れてしまうと「ゲームを楽しめなくなる」という矛盾を(楽しそうに)抱えた自分が、ともに化け物、コインの表裏であることを。

ジョーカーは人間の負の面を露わにする装置として、ゴッサムの夜を踊る。

 

公開後、まさにこのコメントのような状態になっているのはご存知の通り。みんなジョーカーに狂わせられてしまった。作品の解釈を巡ってはもちろん、格差の問題、機会不平等についても。内容は多岐に渡って。なんというか、この映画を仕掛けた監督そのものがジョーカーだと思った。

監督トッドフィリップスといえば、ハングオーバーとかデューデートとか、その辺のわりとボンクラ系コメディ映画を量産してきた人だと思ってたけど、今思えばその映画群に今回のジョーカーの原型となる人物がいた。特に、ハングオーバーザック・ガリフィアナキスが演じてるアラン(中年ヒキニート)は、わりと今回のアーサーに近い。そんなアランが友達を誰も作れず、親とだけ生活していったストーリーを考えるとジョーカーのメインプロットになる。

トッドフィリップスがコメディ映画を作らなくなって久しいが、こんな理由があるそう。

 

『ジョーカー』監督は「文化のせいでコメディは死んだ」と本当に言ったのか ─ 米報道が物議醸す、タイカ・ワイティティも反応 | THE RIVER

「このごろのウォーク・カルチャーの中で、笑いを取ろうとしてみましょうよ。“もはやコメディが成立しないのはなぜか”という記事がいくつか出ていましたが、僕からすると、それは、めちゃくちゃ面白い人たちが“やってられない、誰かを怒らせたいわけじゃないし”という感じになっているから。Twitterで3,000万人を相手に議論することは難しいし、そんなことはできない。でしょう? だから“僕もやめよう”と。僕の作るコメディは――すべてのコメディにそういう面はあると思いますが――不謹慎なもの。そこで、どうやってコメディ以外の方法で不謹慎なことをやろうかと考えたんです。」

 

初めて知った名詞だが、ウォークカルチャーとは、社会的公正を重んじ、差別の撤廃を掲げる運動のことなんだそう。例えばフェミニズムセクシャルマイノリティーのムーブメント、人種差別に対するムーブメントなどの総称的な意味を持つんだとか。

 

トッドフィリップスのコメント通り、この人のボンクラ系コメディ映画は、下ネタから始まり、人種ネタ、性別ネタとひたすらに不謹慎だったw でもそれが面白かったわけだが、このご時世はそうもいかんということで、店じまいをした事実がわかる。

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人が笑う理由にはいくつかあると思うが、その本質は滑稽なこと、くだらないことだと思う。じゃあその滑稽なこと、くだらないことはなんだといえば、それはたぶん誰かの悲劇なんだろうね。誰かがバナナの皮で転んでも見え方によっては、人は大爆笑する。ダウンタウンの「絶対に笑ってはいけない」も、あれだけ人がバットで尻を叩かれても、みんな笑う。叩かれる本人たちにしてみればすごい苦行だと思うが、神の目線としてテレビで見ていれば、本人が笑いに耐えきれずバットで尻を叩かれる光景は、尋常じゃなくおかしい。誰かの悲劇は、喜劇になるということは、古今東西変わらないんだろう。ジョーカーはまさに、笑いとは?を真摯に向き合って作られた映画だと思います。日本でもお笑い芸人からのコメントが多いのも、ちょっとわかる気がする。

で、昨今のウォークカルチャーはちょっと過剰気味でもあり。そういったお笑いに対して、例えば「絶対に笑ってはいけない」を例にするなら、暴力的だという批判であるとか。たしかに公正さや差別のない世界を目指す姿勢は正しいが、完全に公正は世界はないし、それを本当に訴える相手はコメディアンや献血ポスターに対してではない。

 

賛否の多いエンディングも、トッドフィリップスの発言を思い返せば、なんとなく伝わってくる。

このごろのウォーク・カルチャーの中で、笑いを取ろうとしてみましょうよ。“もはやコメディが成立しないのはなぜか”という記事がいくつか出ていました

 

どうやってコメディ以外の方法で不謹慎なことをやろうかと考えたんです。

 

ウォークカルチャーにウケるであろう格差や差別に苦しむアーサーをひたすら徹底して描写してじつに辛い悲劇として描きつつ、最後の最後で「君にはわからないよ」と盛大に梯子を外して「The End」。これぞトッドフィリップス!不謹慎ネタここに極まり、という感じで、アーサーが一世一代、ジョーカーへの狂い咲きをするのと同様に、映画全体の指針がアーサーの行動と同じく、社会に対してのリベンジと化していて、こりゃあ問題作だと思いました。 すごく面白かったです。日本で大ヒット中というのも頷ける話。

 

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デニーロも久々に本気出してた演技だったと思いました。アイリッシュマンも楽しみです。